実践的なウイルス感染対策

北里大学 大村智記念研究所 特任教授
山梨大学 大村記念微生物資源研究フロウティラ 特任教授
花木 秀明 先生
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックを経て、医療現場ではウイルス感染対策の重要性が改めて認識されるようになりました。
Vol.15では、ウイルスの伝播メカニズムを踏まえた換気やマスクの適切な活用、接触感染リスクの再評価、そして院内感染制御チーム(ICT:Infection Control Team)の役割に焦点を当て、科学的根拠に基づく実践的な感染対策を解説します。
目次
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染対策における換気の重要性
SARS-CoV-2は、感染者の鼻や口から放出される感染性ウイルスを含む飛沫に曝露されることで感染します。その経路は主に2つあり、(1)空中に浮遊するウイルスを含む微細な飛沫を吸い込む空気感染と(2)ウイルスを含む飛沫を吸込む飛沫感染となります。ウイルスを含む物質を手指で触る接触感染も一時期は騒がれましたが、この経路は科学的に否定されています(CDC)。SARS-CoV-2を含む飛沫は、エアコンなどの気流に乗って遠距離まで飛散し室内循環します。その感染対策として最も重要なのは換気の徹底です(表)1、2)。これはインフルエンザウイルスをはじめとする他の呼吸器系ウイルスについても同様であり、換気こそが最も効果的な対策と言えます。さらに気流を一方向に向かわせ、下流に陽性者を集める一種のコホーティングも有効です。
したがって、SARS-CoV-2感染対策としてレストランなどの商業施設で広く採用されたアクリル板の衝立やビニールカーテン、半個室化などの物理的な遮蔽物は、実際には建築基準法に則った適切な換気を阻害していた可能性があります。
SARS-CoV-2感染対策におけるマスクの有効性
マスクの使い方を正しく理解することも重要です。
前出のようにSARS-CoV-2の主な感染経路は、飛沫感染とエアロゾル・空気感染です。一般的に使用されているサージカルマスクは、大きな飛沫感染の予防には一定の効果を発揮します。しかし、微細なエアロゾル粒子を介して起こるエアロゾル・空気感染に対しての効果はさほど期待できません。サージカルマスクの着用は標準予防対策の基本的な手法であり、感染対策の第一歩として重要な役割を果たします。しかし、より高度な感染防護が必要な場面、すなわち、空気感染を予防したい場合はN95マスクを使用する必要があります。N95マスクは、0.3μm以上の粒子を95%以上除去する能力を持ち、エアロゾル・空気感染に対してもより高い防護効果を提供します3)。マスクの効果が高くても着用を正しく行わないと感染の危険性は増します。
一方で、ガウンなどの防護具については、患者が激しく咳をして飛沫が飛散されている状況などを除き、通常の診療では必ずしも必要ではないとされています。感染対策は、リスクに応じた適切な防護具の選択が重要です。
医療機関では、従来から実施されているコホート管理(感染患者を同一区域に集約し、専門的な環境管理を行う手法)により、効果的な感染対策が可能です。病院施設は建築法に則った換気能力を有しており、適切に調整することで空気中のウイルス濃度を低く保つことができ、感染リスクは相対的に低くなります。
接触感染リスクの実際
SARS-CoV-2の感染経路について、当初は接触感染が重要な感染経路として懸念されていましたが、現在の科学的知見では、物体表面からの接触感染率は1万分の1未満(<1/10,000)という極めて低い水準であることが報告されています4)。この数値は、日常的な接触による感染リスクが統計学的に無視できるレベルであることを示しており、実際の感染事例においても接触感染による感染拡大はほとんど確認されていません。
当大学ではSARS-CoV-2の接触感染のリスクを正確に評価するため、SARS-CoV-2の存在について包括的な調査を実施しました。調査対象は、入院患者の病室や療養者用ホテル、患者の自宅といった医療関連環境から、公共交通機関、コンサート会場(図1)、宴会場などの一般環境に至るまで、幅広い場所の環境表面としました。さらに、医療従事者と一般市民の手指についても詳細に解析しました。
ウイルスの遺伝子を検出するPCR検査で解析した結果、陽性を示す検体が多数確認されましたが、感染性ウイルスが検出されたのは、個室管理している陽性患者の唾液と洗面台からのみでした(図2)。PCRなどの遺伝子検査では感染性が消失したウイルスの死骸(残骸)を検出してしまうので注意が必要です。既存のSARS-CoV-2感染対策は、この遺伝子の検出によって作られてきました。しかし、今後は感染性を有すウイルスに則った新たな感染対策の考えが必要です。
SARS-CoV-2に対する接触感染防止を目的とした手指消毒の効果は極めて限定的で、その実施によって感染拡大の防止に寄与するとは考えにくい結果でした。感染の主要経路が飛沫感染やエアロゾル・空気感染であることが判明している現在、過度な手指消毒や環境消毒に労力と資源を集中させることは、必ずしも効果的な感染対策と は言えません。環境清拭についても同様に、過度な消毒作業は不要であると考えられます。陽性者が確認されていない通常の環境下では、1日1回の清掃で十分です。これは、ウイルスの環境中での生存期間と感染力の消失、そして実際の接触感染リスクの低さを総合的に考慮した対応です。
ただし、今後発生する未知の感染症に対する感染リスクを最大限回避するためには、COVID-19の流行初期に行われていた完全防護対策を徹底することが求められます。未知なる感染なので危機管理の観点からも過度と思われる感染対策が必要です。その後に正体が判明すれば、それに応じた変更を行うことになり、行わねばなりません。

院内感染対策における人的要因と組織体制の重要性
院内感染が発生する人的要因は、主としてスタッフの感染対策の情報不足や組織的な管理体制の不備と考えられます。適切な感染監視体制が整備されていれば、COVID-19やインフルエンザの患者の早期発見、濃厚接触者の迅速な特定と対応により、感染拡大を効果的に防ぐことが可能です。
医療機関におけるICTなどは、感染症発生時に組織的に迅速な対応が求められ、病院全体への「黄ランプや赤ランプ」の警告が必要となります。具体的には、感染症患者の把握と同時に、濃厚接触した医療従事者や患者を徹底的に拾い出します。例えばインフルエンザの場合は、リスクの高い濃厚接触者に対してはオセルタミビル等の予防投与を実施し、可能であれば医療従事者には他の患者との接触を避ける業務や休業指示を出すなど、リスク回避に向けた感染制御を行います。ICTが十分に機能している医療機関では、上記のような感染対策で、院内感染の発生頻度は大幅に減少していると考えられます。
しかし、大規模病院ではICTが機能しているがゆえに、ICTへの依存度が高くなり、個々の医療従事者の感染対策に対する意識が希薄になる傾向もみられます。反対に、ICTが設置されていない小規模の医療機関では、感染対策の失敗が経営に直結するという現実から、全スタッフの危機意識が非常に高く、小規模組織の利点を活かした迅速な意思決定と対応を行っているケースもあります。もちろん感染対策にも人権を尊重する必要性を忘れてはなりません。
院内ウイルス感染対策においては、ICTばかりでなく個々の医療従事者も高い意識を持って患者を見守り、発生が疑われた時点で迅速に組織的に対応することが、実効性の高い感染制御につながります。
1)WHO. Transmission of SARS-CoV-2 : implications for infection prevention precautions.
https://www.who.int/news-room/commentaries/detail/transmission-of-sars-cov-2-implications-for-infection-prevention-precautions
2)CDC. Scientific Brief: SARS-CoV-2 Transmission.
https : //www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/science/science-briefs/sars-cov-2-transmission.html
3)Qian Y, et al. Am Ind Hyg Assoc J. 1998; 59(2): 128-132.
4)CDC COVID-19 Science Briefs [Internet]. NCBI Bookshelf. 2021 ; April 5:
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK570437/